はじめに
こんにちは、あらたです。
当ブログでは、これまでの「父なる神」という男性中心の神観から、女性性(母なる神)を回復し、「男女の絶対平等(天の父母様)」を目指すというお話をしています。
こうした「女性性の回復」や「男女平等」というテーマを語ると、読者の方からよくこんなご質問をいただきます。
「あらたさんの言っていることは、社会的なフェミニズム(女性解放運動)と同じですか?」
結論から言えば、フェミニズムと当ブログの神観は、重なる部分もありますが、「最終的に目指しているゴール」が決定的に異なります。
歴史の中で、男性中心のピラミッド型社会(古い革袋)を打ち壊し、女性の権利を主張してきたフェミニズムの役割は、非常に尊く必要なものでした。 しかし、私たちは闘いのステージを終え、さらにその先にある「温かい愛のステージ」へと進まなければなりません。
今日は、社会的なフェミニズムと、私たちが目指す「絶対平等の神観」の決定的な違いについて、3つのQ&Aで分かりやすくお答えします。
Q1. 「平等」を目指す動機(出発点)は何が違うのですか?
【A】フェミニズムは「個人の権利と解放」から出発し、私たちの神観は「神様の愛の理想」から出発します。
一般的なフェミニズムの出発点は、歴史的に虐げられてきた「不平等や抑圧からの解放」です。「男性と同じ権利を与えてほしい」「女性を縛るルールから自由になりたい」という、正義と個人の権利が原動力になっています。
一方、私たちが語る絶対平等の出発点は、「神様の創造の理想」です。 誰かに勝つためや、奪われた権利を取り返すためではありません。神様が最初から思い描いていた「互いが互いのために存在する、究極の愛の形」を地上に表したい、という愛が原動力なのです。
Q2. 男女の「自立」や「対等」の意味合いは違うのですか?
【A】フェミニズムが「依存しない個人の自立」を目指すのに対し、私たちの神観は「互いを完全にするための融合」を目指します。
フェミニズムの文脈では、しばしば「女性一人でも生きていける」「男性(あるいは古い家父長制)に依存しない」という個人の自立が強く求められます。時に、男性を「競争相手」や「乗り越えるべき壁」として捉えることもあります。
しかし、神観から見た絶対平等は違います。 「男性は女性のために、女性は男性のためにある」という言葉の通り、相手を競争相手ではなく「自分を完全にしてくれる、なくてはならない絶対的な半身」として捉えます。
自立して離れ離れになるのではなく、互いの違い(父性と母性)をパズルのように組み合わせ、完全に一つに溶け合うこと(同位・同参・相続)。 これが、私たちが目指す真の「対等」です。
Q3. 最終的なゴールはどこにあるのでしょうか?
【A】「個人の自由の獲得」で終わるか、「温かい家庭(神様の安息所)の完成」に向かうかが最大の違いです。
フェミニズムの最終的なゴールは、性別にとらわれない社会制度の構築や、「個人の幸福と自由」です。
しかし、当ブログが目指す「絶対平等」のゴールは、個人では完結しません。 男性の持つ力強さ(父性)と、女性の持つすべてを許す包容力(母性)。この異なる二つが完全にリスペクトし合い、一つに結ばれることで初めて、天の父母様が靴を脱いでくつろげる「温かい家庭(小さな天苑宮)」が完成すると考えています。
個人の解放という「古い革袋の破壊」を終えた私たちは、今度は男女が手を取り合い、神様をお迎えするための「新しい革袋(家庭)」を創り上げるステージにいるのです。
まとめ:闘いを終え、愛し合う時代へ
いかがでしたでしょうか。 フェミニズムが「私」の権利を回復する歩みだったとすれば、私たちの神観は「私たち」の愛を完成させる歩みです。
権利を主張して闘うだけでは、最終的な「心の安らぎ」には到達できません。 女性は男性の中に「神様の父性」を、男性は女性の中に「神様の母性(女神の温もり)」を見出し、互いに「私のために存在してくれてありがとう」と感謝し合うこと。
その水平的で温かい愛こそが、私たちが本当に求めている「新しいぶどう酒」なのです。 ぜひ今日、あなたの目の前にいる大切なパートナーを、神様のもう半分の姿として、新しい眼差しで見つめてみてくださいね。

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