家庭連合(旧統一教会)の神観とは何か?悲しみや恨の神様?

宗教

皆様こんにちは!

安部元首相の襲撃事件を受けて、世界平和統一家庭連合への攻撃が日に日に増していく中、宗教二世として育ってきた筆者からすると教えのといいますか、事実の断片を切り取った報道の仕方で肝心の教義の部分が抜けているが故に家庭連合に対する正しい理解がされていないと感じます。

今回の記事では家庭連合の「神観」、神様というものがどんな姿をなのかを、これまで學んできた者として僭越ながらも取り上げていきたいと思います。

よく神様というと超越者のようなイメージを持つかと思いますが、家庭連合が教える神様は「悲しみの神様」言い換えると「恨の神様」ということができます。

正確には親なる神様なのですが、子どもを失ってしまった親なる神様と出会ったのが文鮮明先生でした。

故に、我々家庭連合の神様は悲しみの神様と教えるのです。

それでは詳細をみていきます。

なぜ悲しみと恨の神様?

家庭連合の教義では神と人の関係のような、人生の根本問題を「神と人間は親と子の関係で、愛を中心とした父子関係」であるとしています。

さらに「神の解放」を掲げています。なぜでしょうか?

 

家庭連合は聖書のアダムとエバから始まる一元的始祖論を基にしていますが、

神様は天地創造の1日から6日かけて人間のために環境を創造し、子たるアダムとエバを創造しました。

登場する蛇によってアダムとエバは与えられていた戒めを破り、善悪知る木の実を食べてしまい子たる身分を失ってしまいます。

エバは蛇がそそのかしたと責任転嫁し、アダムも隣のあの女がといって責任転嫁してしまいます。

アダムとエバはエデンの園から追い出されてしまい、自らも悔い改めることをせず、父子の関係は切れてしまい神様に千秋万代の苦しみを与える結果となってしまったのです。

 

神様というと全知全能とか、栄光とか私たちにとっては計り知れない超越者のような見方をしている方が多いと思いますが、子どもを失った親の心境を考えてみれば、悲しみの神様と聞けば腑に落ちるのではないかと思います。

 

そもそも神の創造の目的ってあるの?

筆者がこれまで勉強してきた中で、最も端的に神様の創造目的を表現している教えの一部をピックアップします。

こちらです。

神様は、なぜアダムとエバを造られたのでしょうか。
神様は無形の方なので、実体の形状をもった父母になれなければ形状の子女を愛せないので、体を着るためなのです。

アダムとエバの創造目的は、
第1に、アダムの体を無形の神様が着ることであり、
2番目は、体をもつことによって震動的な衝撃が来るようにするためです。
言葉だけでは駄目なのです。この衝動的な刺激に喜びを感じるのです。
三つ目は、神様は中心軸をもった垂直の父で面積がないので、面をもとうということです。

引用:真の神様

簡単にですが、神様の創造目的とは「喜を得るため」なのです。

それは決して自分中心のではなく、他に与えることで相手の喜ぶ姿を見て得られる喜びです。

これは私たちの生活の中でも感じられることです。

神様は感じるために身体を創造したのですから、私たちの意識は神様が宿ったものなのです。

神様というのは観念ではなく実体的なものなのです。

 

愛においては全知全能ではない

さて喜びを得るためにはどうしたら良いのでしょうか。

相手に喜んでもらうためには投入しなければなりません。

そこに愛の投入があるわけですが、愛には愛する対象があります。

対象が満足しなければ愛は成立しません。

必ず主体と対象があり、愛の基準は主体だけで決められることではありません。

対象の反応によってきまります。

神様においても愛だけは思い通りにすることはできないというのです。

故に、愛においては全知全能ではないのです。

私たちは心情の神様、人格の神様を解きます。

 

まとめ

さて、いかがでしたでしょうか。

以上を纏めると

神様は親なる神様で、喜びを得たい動機からアダムとエバを創造された。愛は一人では成立しないため子どもを失った神様は悲しみの神様となってしまった。

因みに日本の神学者が「神の痛みの神学」という本を出しています。

いずかは読んでみたい本です。

 

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