皆様こんにちは!
神がいるのかいないのか、一度は考えてみたことがあると思います。
神の実在の問題は長きにわたって宗教や哲学が挑戦してきた問題ですが、今日まで解決できていない問題です。
いや、解決できていないが故に共産主義によって神は「死んだ」と結論づけられてしまっているのが現状です。
「神はいる」と言うとき、言葉上で知って、いるということではなく私たち人間が存在する前におり考える前にいらっしゃるので、知って認識するのではないというのではありません。
例えば、寒いというときは寒いということを知って感じるのではなく、寒いことを感じてから知ります。
なので論理的にいるというよりも細胞で感じる境地が問題になります。
この記事では、神という存在はいるのかいないのか、簡単なたとえ話で実存証明する考え方を紹介していきたいと思います。
人体から観た神の実在
目
これは変わった話ですが、目が初めに生まれたとき太陽があることを知っていたでしょうか?
目に光が差し込むと眩しいですが、目は太陽があることを知らずに生じてきました。
また眼には涙が出てくる涙腺がありますが、太陽の輻射熱によって水分が蒸発することを知っていたかというと知らなかったのです。
水道パイプは知らないが、水道パイプが備えられているように、涙腺が生じました。
同様にまつげは目に埃が入っていくのを防ぐために生じたことを知りません。
耳
耳には耳介があります。
耳介とは、外に飛び出している部分のことをいいます。
それは空気が流れてそこに引っかかることで音が協和するために、そのようになっています。
耳を見ると大きな輪っかがあり、小さな輪っかがあります。
ここで音を調節しています。
耳自体は知りませんが、元々動機がそうなっているため、誰かが知っていたので、そのように作ったといえます。
このように目自体が生じる前に、すでに太陽があり、空気中にはほこりがあり、水分が蒸発していることをはっきり知って、これに合うように誕生させた存在があったということが分かります。
その誕生させた存在を私たちは「神様」と呼ぶのです。
神を否定する者たちは、宇宙が自然に存在するものとみなしています。
しかし、こうして私たちの人体のごく一部がこのように科学的になっていることを見るとき、自然にそのようになったとみることができません。
自然は、方向性をつまりは目的性を持った内容の結果なのです。
このような観点がすれば、動機的存在がいるという理論が妥当だと思われないでしょうか?
北から南に向かう磁気も方向性があり、目的を持つ対象がそこにあるためにそうなっています。
物質自体が自然自体がそのような能動的な主体性を持つことができるかと言えば、できないはずです。
神は宇宙の原因的な存在であり、作用の原因的存在、力の原因的存在、方向を提示する原因的存在、目的を提示する原因的存在であることは不可避の結論です。
神の属性について
神は宇宙の原因的な存在であるとすれば、そのお方はどのような属性を持っているのかというと「人格的な神である」ということができます。
何故かと言えば、動機を持って方向性を定め、目的を提示するからです。
原因から方向を定めて、目的の世界に進んでいきます。
こうした観点から全体の原因的な存在が神様だといいます。
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