皆様こんにちは!
イエスキリストが明かした神様ということで、私たちは人生の一大事のときに、何か超越的ないわゆる「神様」に対して呼びかけて祈ったり、またお願い事などをしたことがあるかと思います。
普段神様という存在を意識していない人でも、無意識に神頼みを実はしていたり、神という存在に祈りという形で繋がろうとします。
神様と呼びかけるとき、その呼びかけた者にとって、神様はどのような関係位置にあるでしょうか?
聖書の歴史を見ると神様と人間との関係は、旧約時代から新約時代にかけてより近しいものになっていることが分かります。
イエスキリストは神を「天の父」「我が父」と呼びかけていました。
神と人間は親子の関係なのです。
今回の記事では、その神と人間の関係が歴史過程で変わっているのを確認していきたいと思います。
神の呼び名
2000年前に誕生したイエスキリストが十字架にかけられてしまった理由。
神様のことを「父」と呼んだことにありました。
旧約時代では神様をヘブライ語で「ヤハウェ」「エロヒム」「エルシャダイ」などなど、旧約聖書を見ると様々な神様の呼称が存在します。
横文字ばかりですが、旧約時代は神様の名前をみだらに唱えてはいけないとされていました。
父と呼んだこともそうですが、旧約の律法に従わなかったために、受け入れられなかったといった方が正しいでしょうか。
いずれにしてもイエスキリストは、横文字ばかりで呼ばれていた神様を、初めて「父」と呼んだのでありました。
この旧約と新約時代の違いはなんでしょうか?
人間は神の子?神の僕?
新約聖書の「ローマ人への手紙」8章15節と23節を見ていきましょう!
なぜなら、あなたがたは、ふたたび恐れに至らせる隷属の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたからです。
その霊によって、私たちは、「アバ、父よ」と叫んでいるのです。
引用:ローマ人への手紙8書15節
それだけでなく、御霊の初穂を持っている私たち自身も、子とされること、私たちの体のあがなわれることを待ち望みつつ、自分自身に内でうめいています。
引用:ローマ人への手紙8章23節
イエスキリストが来たことで、これまで隷属の身分であったのが、子たる身分へステージ変わっていることが分かります。
因みに、韓国語の聖書では「子」の部分は「養子」の意味になっています。
神の子どもといっても、養子までということですね。
イエスキリストは新約聖書で神様の子どもとして登場します。
初めて子どもの位置の人間が誕生したのです。
創世記に登場するアダムとエバも子どもでしたが、彼らは禁断の果実を食べてしまい、その位置を失ってしまったのです。
代わりにイエスキリストが来られ、神様の子の位置として地上に誕生し、まるで孤児のような親を失った人類を子たる身分の位置に回復させるために、旧約時代を新約時代につなげる役目を担いました。
旧約時代の人々が神の名前を呼べなかったのも、親子の関係になかったからです。
隷属の霊では親として崇めることはできませんでした。
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