皆様こんにちは!
今回は政教分離について取り上げてみたいと思います。
政教分離とは、国家と宗教は切り離して考えることをいいますが、歴史をさかのぼると政治と宗教が一致していた時代があります。
宗教は目に見えない精神的な部分を扱うため、国家を超えることができますが、政治は一国の範囲に留まってしまう限界があるため、国益を無視した発言をしてしまうと選挙で落とされてしまいます。
それゆえに宗教が政治の下に入ってしまうと、その国は淪落してしまう歴史がありました。反対に宗教が上にきてしまうと特定の宗教が有利になるように国政が行われてしまい、それ以外の宗教は排除されていくことになります。
こうしたことからも政治と宗教が分離していきますが、一切関わりを持たないのは不可能です。何かしら互いに影響を及ぼし合っています。
この記事では、
- 宗教と政治の役割と関係
- 宗教と政治が一致していた歴史
について簡単に紹介していきたいと思います。
宗教と政治は、心と体の関係
宇宙の法則一切は霊界が主であり、現実世界が従うのだからこれを『霊主体従』と言う
その身魂が霊(日)の本の身魂→大和魂
(清廉潔白な水晶の魂)反対に体主霊従の身魂を自己愛の身魂→エゴイストと言う
霊主体従の身魂は天地の法則に適う事を好み行動する→律法(トーラー)天知る地知る人の道 pic.twitter.com/9o8nJUKDqK
— 三千世界そろそろ開くぞ梅の花 (@4d1eqSVRiUg6sJZ) June 4, 2022
人が行動を起こすとき、何かの基準に基づいていることは認めていただけると思います。
例えば空腹を感じた時、「お腹がすいたな~」と思ったから、間食をしたり料理をし始めたり外食したりしますね。
お腹がすいて口にするにしても健康に良いものだけを摂取する生活を心掛けていた場合、白砂糖を使わないお菓子を間食にしたり、外食するときはそういったお店だけにしか行かないなどといったことが考えられます。
このように行動の前には思いや考え、生き方や在り方が先んじており、思いに行動が従属している構造になっていることが分かります。
思いや考えは「心」が担当する部分であり、行動については「体」が担当する部分となります。
これを国家単位で当て嵌めたとき、心を担当するのが「宗教」で体の部分を担当するのが「政治」ということになります。
以上から心に体が従属しているように、宗教に対して政治が従属していくことが本来の在り方なのです。
歴史からみた政治と宗教の役割関係
- 宗教は国を超えて、時空を超えた世界に関わる ⇒ 心を担当
- 政治は一国を超えられず限定されてしまう ⇒ 体を担当
先ほどは個人おける心と体の関係が、国家においては宗教と政治の関係であり、政治が宗教に従属していく構図が本来の在り方であることをみてきました。
ここからはイスラエルの歴史まで遡り、その在り方をみていきたいと思います。
イスラエルの歴史においては、政治と宗教は一致していました。
アブラハムのとき
アブラハムという人物がいますが、聖書を見てみると「神に祈って、神に相談して決める」これが政治で、「敵が攻めてきたらどうするか」これが軍事だったといいます。
イスラエルの人たちにとっては、神と人との契約が重要でした。
神は預言者にみ言を伝えて、預言者が国の中心である国王に伝えるわけですが、直接ではなく間に祭司を置いていました。
日本でいうところの神主さんの位置ですね。
国王のいうことだけを国民を聴くのですが、預言者が神からのみ言を守ったのかどうかを判断する監査役の役割を果たしているのです。
モーセのとき
ミリアム(ヘブライ語: Miryam、ラテン語: Miriam)はイスラエルではありふれた女性名で、旧約聖書では最初にモーセとアロンの姉の女預言者として登場する(出エジプト15:20-21、民数記12:1-16、20:1)。「マリア」はミリアムのアラム語読みに由来するという。 pic.twitter.com/Ecq36kvEcS
— TOMITA_Akio (@Prokoptas) June 19, 2020
モーセという人物がいたとき、
モーセが神からみ言を貰っていたので、モーセが神のような位置で、預言者がミリアム、祭司が兄のアロンで、国王がホルでした。
こうした構造で以てイスラエル民族を導いていったのです。
国家次元のイスラエル
イスラエル民族が国家レベルまで発展していくと、サウル、ダビデ、ソロモンが王として出てきます。
この王たちは預言者を通して選ばれた者たちです。
預言者は神から遣わされ、国王は預言者の命令を聴いて、国民たちに要求することができました。
このようにして国王が神の通りにするのかを預言者が判断していましたが、国は南北に分かれてしまい、神の祝福がない北は王が次々と交代する短期政権となり、とても不安定な状況に陥ってしまいます。
そのような状況の中で最後の預言者がイザヤという預言者でした。
今日のお説教からの学びはイザヤ7:1~14📔神様は、アハズ王がアッスリヤに頼らず神様に頼ることを望んでおられましたが、アハズ王はアッスリヤに頼ろうとしていました🤓そこで神様はイザヤを通じて、「気をつけて、静かにし、恐れてはならない(4節)」と言われ、神様にすがるように言われます🤓 pic.twitter.com/Ae85dgPSzd
— 🍎July Cross (来主珠里 くろすじゅり)🍏 (@July_Cross7) October 12, 2017
イスラエルはエジプトやアッシリアという大国を前にして、どう選択をすべきかを話し合います。
預言者の仕事は、国民に対してよりも国王に対して国の行くべき道を指し示すことです。
イザヤはアハズ王にこう迫ります。
「あなたはエジプトにもアッシリアにも行ってはならない。神の言に従って強く立てば、必ずイスラエルの生き延びる道がある。」と
しかしイスラエルはエジプトと連合するのですが、連合したエジプトは話にならず滅ぼされてしまうのでした。
結局イスラエルは滅び、バビロンに引かれていき亡国の徒となってしまいます。
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