皆様こんにちは!
家庭連合の2世として生まれた筆者が統一原理について簡単に紹介していきたいと思い、今回記事にしました。
統一原理はまず宇宙創造の第一原因である神の存在を認め、そして神には創造の動機というものがありあすが、その動機的起点が前提となっています。
聖書のアダムとエバの堕落によって人間には善と悪の2つの指向性が現れ、その指向性で以て歴史が展開されてきました。
国家間の戦争は武器によるものでなく、相手を貶めてやろうという個人の心の指向性による言葉の暴力です。
統一原理では善の心を高め、悪の心を抱き寄せて善に転換させていくのかを学びます。
幸福を求めている
統一原理は「原理講論」という本に纏められていますが、
そのページ数は600を超えます。
その冒頭部にこうあります。
人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。個人のささいな出来事から、歴史を左右する重大な問題に至るまで、すべては結局のところ、等しく、幸福になろうとする生の表現にほかならないのである。
一切の人は幸せになろうと一生懸命に努力しているのです。
一種の幸せになりたいという欲望と言ってよいでしょう!
この幸せになりたいという欲望、人においてなら、老若男女問わず誰でも、どの人種においても共通していることは認められると思います。
では幸福は生かして得られるのでしょうか。
それは欲望が満たされたときに感じるのです。
心の2つの指向性
しかし、幸福を願って努力しても不幸になることもあります。
それはなぜなのか。
その答えは単純明快です。
「無知に陥った」ためなのです。
無知というのは本来人があるべき姿が何なのか、それが分からなくなったというのです。
無知は無知でも、根本的な無知は、神が分からなくなったことを統一原理では教えています。
故に今日まで歴史で善と悪が闘ってきたのです。
ここで善を指向(欲望)する心を「良心」、悪を指向(欲望)する心を「邪心」といいます。
この2つの指向性が拮抗している状態を破滅状態、自己矛盾、矛盾性などと言ったりします。
少しエグイ表現ですが、キリスト教ではこの状態を「堕落」と呼んでいます。
幸福になろうと必死の努力をしても、かなわないのは無知に陥ったわけですが、
神が分からなくなったために善を指向しても、その基準がバラバラなのです。
また邪心も働いているために結局は互いが善を主張し合い、相手を悪に仕立て上げてきたのが歴史です。
世界の問題は国家間の問題
国家間の問題は社会の問題
社会の問題は家庭の問題
家庭の問題は個人の問題
そして個人の問題は、心の矛盾の問題なのです。
解決の道は良心に問いかけ、神の実在を知ることで無知を克服することが大切です。
おわりに
最後まで読んでいただきありがとうございました。
心の矛盾を抱えているために、幸福になろうとしても幸福になれない、それは無知に陥っているためでした。
それは究極的には神が分からなくなったからです。
統一原理では、邪心を克服することや、良心に従って生きる生活、そして人生を豊かにしていく教えを学んでいきます。
そのためにまずは神の実在を明らかにしなければならないのです。
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