こんにちは、あらたです。
皆さんはキャンプ、好きですか? 自然の中でテントを張り、焚き火を囲む時間は楽しいものです。 でも、それが「一生続く」としたらどうでしょう?
雨の日も風の日も、安らげる頑丈な壁も屋根もない。 移動のたびにテントを畳み、また別の場所で広げる……。 それは「楽しみ」ではなく、「漂流」になってしまいますよね。
実は、聖書に出てくる「仮庵(かりいお)の祭り」という行事には、そんな「定住できない神様の、切ない家探しの歴史」が隠されているのです。
今日は、神様がずっと求めてきた「本当のマイホーム」についてお話しします。
荒野のテント生活は、誰のため?
旧約聖書の時代、イスラエル民族はエジプトを脱出し、荒野を40年間さまよいました。 その間、彼らは「天幕(テント)」で暮らしていました。
これを忘れないために行われるのが「仮庵の祭り」ですが、ここで一つ、重要な視点があります。 テントで暮らしていたのは、人間だけではありません。
神様ご自身もまた、テント(幕屋)の中に住まわれていたのです。
雲の柱が動けば、慌ててテントを畳み、移動し、また設置する。 民が定住できない間、神様もまた、地上に足を下ろす場所がなく、「仮の宿」を転々とされていました。
「カナンの地(約束の地)に入りたい」 そう一番強く願っていたのは、歩き疲れた人間たち以上に、「早く子供たちと落ち着いて暮らしたい」と願う神様ご自身だったのではないでしょうか。
「石の神殿」では満足できなかった理由
その後、ソロモン王の時代になり、立派な「神殿」が建ちました。 ようやく神様のお家ができた!……と誰もが思いました。
しかし、その神殿もやがて崩され、失われてしまいます。なぜでしょうか? それは、神様が本当に住みたかったのは、「冷たい石の建物」ではなかったからです。
イエス・キリストは言いました。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直そう」(ヨハネ2:19)
イエス様が指していた神殿とは、建物ではなく「ご自身の肉体」のことでした。 ここから、神様の「家探し」の本当の目的が見えてきます。
神様が求めていたのは、豪華な大聖堂ではありません。 「私の愛を宿し、私と共に生きてくれる、人間の肉体」だったのです。
神様が「家庭」を持ちたい理由
考えてみてください。 親にとっての「家」とは、ただの箱ではありません。
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「ただいま」と言えば「おかえり」と返ってくる場所。
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温かいご飯を囲み、今日あった出来事を語り合う食卓。
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愛する伴侶や子供たちを抱きしめる温もり。
神様は霊なる存在ですが、だからこそ、「肉体を持った人間」として、その家庭的な幸福を味わいたいと願われたのです。
テント(仮設住宅)を畳んで、広げて、また畳んで……。 その繰り返しの歴史は、 「私の体がどこにある? 私の家族はどこにいる?」 と、彷徨い続けた神様の痛みの歴史でもありました。
天苑宮(Cheon Won Gung)建設の意味
今、私たちが生きているこの時代に、大きな摂理の転換点が訪れています。
それが、「天苑宮」の建設です。
これを単なる「宗教的な建物」として見るだけでは、本質を見誤ります。 これは、アダムとエバの時代から、荒野の時代、そしてイエス様の時代を通しても果たせなかった、 「神様の家探しの旅」の終着点なのです。
神様が、もうテントを畳んで移動しなくていい場所。 霊的な神様が、地上の真の父母(肉体を持った中心)を通して、実体的な家族と共に住まう場所。
「仮庵(仮の宿)」の時代が終わり、ついに「本庵(本来の家)」の時代が来た。 その象徴が、この建設事業なのだと私は感じています。
まとめ:あなたの家庭も神様の「家」
壮大な話になりましたが、これは遠い世界の話ではありません。
神様が「人間の肉体と家庭」に住みたいと願われているなら。 私たち一人ひとりの体、そして私たちの家庭そのものが、神様の住むべき「小さな天苑宮」なのです。
今日、家に帰ったら、家族に「ただいま」と温かく言ってみてください。 食事を一口食べる時、「神様も一緒に食べてね」と心で呟いてみてください。
その瞬間、あなたの家は、神様が6000年探し求めてきた「安息の場所」になります。
テント生活はもう終わりです。 神様と一緒に、温かい「お家」での暮らしを始めましょう。

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