はじめに
こんにちは、あらたです。
キリスト教や聖書と聞くと、「男性が上で、女性は従うもの」というイメージを持っていませんか? 有名な旧約聖書の「創世記」には、「まずアダム(男)が創られ、その肋骨からエバ(女)が、男の助け手として創られた」というエピソードが登場します。
この記述によって、人類は数千年間、「男性が主体であり、女性は従属的であるのが神様の意思だ」と無意識に思い込まされてきました。
しかし、もしこれが「神様の意思」ではなく、「当時の人間たちの偏見(バイアス)」だったとしたらどうでしょうか? 今日は、聖書学が明らかにした「創世記の執筆時期のズレ」と、19世紀にある女性が暴いた歴史の真実から、神様の本当の姿(絶対平等の愛)を解き明かしていきます。
創世記「1章」と「2章」の決定的なズレ
聖書を注意深く読むと、不思議なことに気づきます。人間創造の物語が、1章と2章で全く違う書かれ方をしているのです。
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【創世記2章】男のために女を創造(アダムの肋骨からエバを作る)
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【創世記1章】神のかたちに従って、男女を同時に創造(男と女とに創造された)
聖書学の研究により、この2つの文章は「書かれた時代」が違うことが分かっています。 実は、順番的に後にある「2章」の方が、古い時代に書かれた記録なのです。
2章が書かれた紀元前10世紀頃のイスラエルは、強固な家父長制(男性中心の社会)でした。当時の記録者たちは、自分たちの社会のルールや「男が上である」という文化的な偏見(古い革袋)を通して、神様の物語を書き残してしまったのです。
絶望の中で見つけた「本当の神様」
では、「1章」の男女同時の創造はいつ書かれたのでしょうか。 それは2章からずっと後、イスラエルの民が国も神殿も失い、捕虜として連行された「バビロン捕囚」という絶望のどん底の時代です。
すべてを失った彼らは、極限状態で「神様とは本当はどういうお方なのか」を深く問い直しました。 そして、古い家父長制のバイアスを脱ぎ捨て、ついに「男性と女性、両方が揃って初めて『神のかたち(似姿)』になるのだ」という、宇宙の真理(絶対平等)に到達したのです。
つまり、男女不平等は神様の意思ではありません。人間が自分たちを正当化するために作り出したルールだったのです。
早すぎた「新しい革袋」:スタントンの闘い
この「聖書のバイアス」に気づき、立ち上がった勇敢な女性がいました。 19世紀のアメリカで女性参政権運動を率いた、エリザベス・キャディ・スタントンです。
彼女は、女性差別を正当化する根拠が「聖書(の古い解釈)」にあることを見抜き、1895年に『女性の聖書(The Woman’s Bible)』を出版しました。 彼女は聖書や神様を否定したわけではありません。「聖書の言葉に被さっている『男性中心主義という人間のフィルター』を取り除かなければ、本当の神様の愛は見えてこない」と主張したのです。
しかし、当時の社会(古い革袋)には、彼女の主張を受け入れるだけの器がなく、激しい非難を浴びることになりました。彼女の提示した真理は、あまりにも時代を先取りしすぎていたのです。
まとめ:裁く神から、共に背負う「天の父母様」へ
スタントンの時代から100年以上が経ちました。 今、私たちはようやく、彼女が夢見た「男性と女性が完全に補い合う、絶対平等の神観」を受け入れる準備ができています。
人間の歴史は、相手に責任を押し付け「自分は正しい(善)、あいつが悪い(悪)」と裁き合うことで分断を生んできました。その責任転嫁の最たるものが、「女性は男性に従うべきだ」という歴史的な偏見でした。
しかし、本来の宇宙の法則(正分合)は違います。 神様という一つの温かい根源から、男性(父性)と女性(母性)に分かれたのは、互いの違いを尊び、パズルのように補い合い、もう一度深く愛し合って「一つの家庭」になるためです。
私たちに必要なのは、古い教義で裁き合うことではありません。 目の前のパートナーを「自分を完全にしてくれる尊い半身」として見つめ、共に責任を背負い合うこと。それこそが、神様が最初から思い描いていた「真の善」であり、天の父母様の姿なのです。

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