「携挙(けいきょ)」って本当に空へ逃げること? 19世紀の歴史から紐解く、聖書が教える「地上の回復」という本当の希望

キリスト教の「終末」と聞いて、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべますか? 「世界の終わりに恐ろしい時代が来て、信じる者だけが空へ引き上げられる」という「携挙(けいきょ)」の教えを聞いたことがある方も多いかもしれません。真面目な信仰を持つ人ほど、「自分は取り残されてしまうのではないか」と不安になった経験があるのではないでしょうか。

実は、この「崩壊する世界から脱出する」という教えは、初代教会から宗教改革期を経て18世紀に至るまで、キリスト教会の主流な教えには一切存在しませんでした 。今回は、この「空中携挙」という教えがいつ、どのようにして生まれ、聖書が本当に伝えたかった希望は何なのかを、歴史とギリシャ語の本来の意味から優しく紐解いていきたいと思います。

携挙の教えはいつ生まれたの?

1800年間もの長い間、キリスト教の主流な終末論は、世界から逃避するのではなく、聖霊の働きによって社会や文化を漸進的にキリスト教化し、世界を回復するという楽観的で行動主義的なものでした 。信仰者たちは、社会制度の改革を神の国の拡張と捉え、「地上の回復責任」を強く意識していたのです

しかし、19世紀前半のイギリスでは、フランス革命の余波やコレラのパンデミックなど、未曾有の社会不安と既存秩序の崩壊の危機が人々を襲いました 。特権階級の聖職者たちは、社会のキリスト教化という希望が完全に打ち砕かれたように感じ、深い心理的・社会的な危機感に陥ったのです

そんな絶望的な状況の中から、ジョン・ネルソン・ダービーという人物が登場し、「ディスペンセーショナリズム(世代主義)」という極めて悲観的な終末論を提唱しました 。彼は、世界が「大患難」に突入する直前に、真のキリスト者だけが空中に引き上げられて難を逃れるという「患難前携挙」の教理を生み出しました 。これは、社会の混乱に怯える当時の人々にとって、「世界が悪化するのはキリストの再臨(携挙)が近い証拠だ」という、強力な心理的鎮痛剤として機能したのです

「空中で出会う」の本当の意味

携挙の最大の根拠としてよく引用されるのが、パウロが記した「空中で主と出会う」という聖書の言葉です 。しかし、ここで使われているギリシア語の「アパンテーシス (apantesis)」は、崩壊する世界からの「逃避」を意味する言葉では決してありませんでした

歴史的・言語学的な分析によれば、1世紀のローマ帝国において「アパンテーシス」とは、王や皇帝が都市を公式訪問する際、市民が市外へ出向いて彼を出迎え、祝祭的な行列を作って再び都市の中へと一緒にエスコートする「公式な習慣」を指す専門用語でした つまり、パウロが当時の読者に伝えたかったイメージは、私たちが空に逃げてそのまま天国へ引っ越してしまうことではありません 。キリストが天から地上へと帰還する際、私たちが「王の出迎えの行列」として空中に引き上げられ、大いなる王なるキリストを地球へとエスコートして共に降りてくるという、栄光に満ちた凱旋のプロセスだったのです

恐怖のコントロールからの解放

また、「一人は取られ、一人は残される」というマタイの福音書の言葉も、しばしば「突然の携挙によって真の信徒が『取られ』、不信仰者が大患難の地上に『残される』」という恐怖を煽る文脈で使われてきました

しかし、この言葉の直前ではノアの洪水の時代が引用されています 。イエスの本来の意図では、洪水によって「押し流された(取られた)」者が裁きを受けた者であり、「残された」ノアとその家族こそが神によって保護され、新しい世界を生き延びた者でした 。携挙論はこの意味を180度反転させ、「いつ携挙が起こるかわからない」「自分は取り残されるのではないか」という慢性的な不安を植え付け、信徒を心理的にコントロールする強力なツールにしてしまったのです

なぜ日本の教会にこれほど広まったのか?

では、なぜこの19世紀に生まれた比較的新しい教えが、現代の日本の教会でこれほどまでに強固に定着しているのでしょうか。それには、日本特有の歴史的トラウマと宣教の背景が関係しています

第二次世界大戦中の1942年、「ホーリネス弾圧事件」という悲しい出来事がありました 。天皇統治の廃止とキリストの地上再臨を説いたとして、多くの牧師が治安維持法違反で一斉検挙され、獄死しました 。戦後、国家の弾圧を耐え抜いた彼らは「殉教者」として顕彰されましたが、そのプロセスにおいて、彼らが命を懸けて守り抜いた「空中携挙」という教理自体も、批判的検証を許容しない不可侵の「正統的教え」として絶対化されてしまったのです

さらに戦後、アメリカから日本へやって来た宣教師たちの多くが、このディスペンセーショナリズムの影響を色濃く受けた神学校の出身者でした 。キリスト教徒が人口の約1%未満という圧倒的マイノリティである日本社会において、「この悪魔の支配する苦しい世界から、間もなく自分たちだけを天へと引き上げて救済してくださる」という逃避的な携挙論は、社会からの孤立感を和らげ、信徒の心理的防衛機制として非常に有効に機能してしまったのです

新しい天と新しい地:世界を回復する本当の希望

現代を代表する新約聖書学者N.T.ライトは、新約聖書が提示する最終的な希望は「死んで天国へ行くこと」ではなく、「身体の復活」と「新しい天と新しい地」の創造にあると論じています

聖書が描く救済とは、神様がこの物質的な世界(地球)を破壊して見捨てることではありません 。すべての被造物を罪と死の腐敗から解放し、根本的に回復・刷新(フルレストア)することなのです 。ですから、キリストの再臨とは私たちを地球から連れ去ることではなく、天の命をもって地球を癒し、神の治世を地上で完成させることなのです

おわりに

「携挙」という言葉に怯え、未来の不安に心をすり減らしていた皆さん、もう恐れる必要はありません。私たちは、滅びゆく世界から救命ボートに乗ってこっそり逃げ出すのではなく、この愛する地上に真の王をお迎えする「喜びの凱旋行列」に加わるのです。

キリスト教の本来の希望とは、肉体を捨てて天国へ脱出することではなく、この世界が新しく回復されることにあります 。だからこそ私たちは、今日、目の前にある生活や家族、仕事、そしてこの社会の回復に能動的に関与していくことができるのです 。逃避するのではなく、神様と共にこの世界を愛し、修復していくこと。それこそが、キリストの到来を待つ私たちの、本来の力強くて素晴らしい生き方なのです。

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