【ミラノ五輪】りくりゅう金メダルが示した「神の成長」——絶望を愛で包み込む時、奇跡は必然となる

皆様こんにちは!
あらたです!

歴史が動いた瞬間でしたね。 ミラノ・コルティナ五輪、フィギュアスケート・ペア。 ショートプログラム(SP)でのまさかのミスから5位発進となった「りくりゅう」こと三浦璃来・木原龍一ペア。

誰もが「メダルは厳しいかもしれない」と不安を抱く中、彼らはフリーで世界歴代最高得点となる158.13点を叩き出し、日本フィギュア史上初となるペア金メダルを手にしました。

メディアはこれを「奇跡の大逆転」と報じましたが、神学的な視点で見れば、これは奇跡ではなく「愛が完成するプロセスの必然」として映ります。

今日は、りくりゅうの二人が見せてくれたドラマを通して、私たちが探求している「神の成長」と「愛の完成」について考えてみたいと思います。

不完全さこそが「創造」の起点

ショートプログラム終了後、木原選手の目には涙があふれていました。得意のリフトでの失敗。得点差は約7点。 五輪という大舞台で、この差を覆すことは困難だといいます。

私たちは神を「最初から完璧な存在」として想像しがちです。しかし、現実の世界において神性が現れるのは、静止した完璧さの中ではありません。 むしろ、「欠け」や「痛み」、そして「カオス(混沌)」を乗り越えようとする動的なプロセスの中にこそ、神の姿は現れるのではないでしょうか。

あのSPでの失敗があったからこそ、二人は単なるメダル獲得以上の、魂の次元での飛躍を成し遂げる必要に迫られたのです。 「不完全さ」こそが、次の段階へ進むための創造の起点でした。

「女神」の受容が男を戦士に変えた

特筆すべきは、絶望の淵に立たされた木原選手を救った三浦選手です。 試合後のインタビューで、木原選手はこう語っていました。

「昨日は僕が崩れてしまったけど、りくちゃんが救ってくれた」

ミスをしたパートナーを責めるのではなく、同情して共に沈むこともなく、彼女はただ力強く「まだ終わっていない」と未来をみていたのです。

かつては男性側(木原選手)がリードしていた関係性が、絶望の淵で逆転しました。 これは、私が常々感じている「女性性(女神)の役割」そのものです。

男性原理(強さ・構造)が崩れかけた時、女性原理(受容・生命力)がそれを包み込み、再び立ち上がらせる。 「救われた」という木原選手の言葉は、アダムがエバによって——あるいは、神が人間によって——自らの欠けを補完され、完全な姿へと成長したことの現れではないでしょうか。 この相互作用こそが、神が人間を通して体験したいと願っている「愛のダイナミズム」そのものだと感じます。

158.13点という「神の成長」の記録

そして迎えたフリーの演技『グラディエーター』。 冒頭のトリプルツイスト、SPでミスしてしまったリフトを完璧に成功させます。

彼らが氷上で見せたのは、恐怖心という内なる敵との戦いでした。しかし、その戦いは敵を倒すためのものではなく、「新しい美を創造するための戦い」でした。

「人間の創造は神御自身の成長である」

私は常々そう考えています。 彼らが恐怖を乗り越え、自分たちの限界を突破してあの演技を完成させた瞬間、宇宙の創造主である神ご自身もまた、彼らの肉体と精神を通して「逆転の喜び」を体験し、大きく成長されたはずです。

新しい革袋にふさわしい愛の形

表彰台の真ん中で君が代を聴く二人の笑顔は、これまでの苦難の道のりが報われた瞬間でした。

彼らの金メダルが尊いのは、順位ではなく、二つの魂が、失敗と絶望というプロセスを通過し、互いを信頼し合うことで「復活」を果たしたからです。

一人の力では到達できない場所に、二人なら行ける。 これこそが、新しい時代に求められるパートナーシップの形であり、私たちが目指すべき「新しい革袋(Fresh Wineskins)」に注がれるべき精神です。

りくりゅうの金メダルは、私たちに教えてくれたと思います。 失敗は終わりではない。それは、愛によって神が成長するための、大いなる物語の始まりなのだと。

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