皆様こんにちは!
文鮮明総裁がお亡くなりになってから、韓鶴子総裁の独り娘宣布により、今でも独り娘に纏わる内容が物議を醸しています。
7男のサンクチュアリ教会が出てきた当たりでしたでしょうか。
韓鶴子総裁の文鮮明総裁への数々の裏切り行為と思われそうな情報を耳にするようになりました。
初めて聞いたときは韓鶴子総裁は何を考えていらっしゃるのだろうかと、本当に耳を疑いたくなるほどでしたが、現在ではいわゆる独り娘論を支持するに至っています。
独り娘論が正しいと証明できるわけではありませんし、反対派が独り娘論を間違いとする根拠も理解できます。
ただ独り娘論に対して従来では捉えることのできなかった真理として新しい可能性を見出した次第です。
今回の記事では独り娘論を聞いたときから、受け入れるに至った経緯も含めて振り返ってみたいと思います。
最初のきっかけは独り娘は原罪がないというものでした。
これまで原理講義では再臨主の新婦は堕落した女性の中から探しだして、小羊の婚宴により再臨主と新婦が結婚し真の父母になると聞いてきたので、再臨主の新婦は堕落圏の女性、つまり原罪を有している立場なのです。
韓鶴子総裁は原罪があって誕生したことになるはずなので、一体全体どうしてしまわれたのかと思いました。
本家では何が起きているのか、、
インターネットで情報収集しても、韓鶴子総裁が文鮮明総裁に従わなくなっただとか裏切っただとか、韓鶴子総裁を批判する内容であふれていました。
ほかにも例えば、文鮮明総裁は韓鶴子総裁と聖婚して独り子となったや、文鮮明総裁は結婚してはいけなかったなど
客観的にみると文鮮明総裁を否定していると思われても仕方ない内容です。
この話をもう少し俯瞰してみると男と女はどちらが先かといった優劣の争いにも見えます。
聖書の創世記でエバはアダムから造られたとあるからです。
ここからも男性主体であることが分かりますというか、原理講論でもそのように書いてあります。
そこに真っ向から対立している主張を韓鶴子総裁はしているんですよね。
た~だ
そもそもを考えると堕落なんてあってはならないことです。
本然の世界にならないといけないなら、堕落の考えがあってはならないし、原罪なんて言葉もあってはなりません。
もっといえばそんな記憶は消えないといけません。(実はこういうみ言がある)
そうなると創造本然の原理で男性と女性の位相を捉えた原理があってもおかしくはないですよね?
韓鶴子総裁はその原理を示唆しているんじゃないか。
当時不信してしまいそうになる一歩手前で止めてくれました。
韓鶴子総裁は従来の原理の枠組みで言及しているのではないと、そのように感じないでしょうか。
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