縄文遺跡群が世界遺産の理由は?三内丸山遺跡の特徴から調査!

歴史

皆様こんにちは!

縄文遺跡群が世界遺産に登録されましたね!

もともと世界遺産委員会で審議の候補になっていたそうで、ニュースにもあった通り縄文遺跡群と奄美大島が推薦されていました。

縄文時代の特徴である狩猟・採集・漁労で生活しながらも、定住して集落を作っていたことが、とても世界的にみると珍しいことなのだそうです。

しかもそれが1万年以上も続いてきています。

これが北海道、青森、岩手、秋田の4道県に集中しているということなんですね。

近年は日本史を中でも縄文時代を再度見直す動きが活発になってきていると思いますが、東北大学名誉教授・歴史研究家の「田中英道」さんをご存じでしょうか。

田中英道先生は東北にこそ日本の源流があったことを主張しています。

この田中英道教授の歴史観を参考に、縄文遺跡群の中でも代表的な『三内丸山遺跡』の特徴から世界遺産に登録された理由を考えてみたいと思います。

縄文文明は高度な文明?

世界4大文明といえば、エジプト、メソポタミア、インダス、中国ですが、これらは約5500年~3500年前くらいで、

三内丸山遺跡はというと同じぐらいだとされていて、近年の研究では縄文時代は約1万6000年前から始まってきた文明であると考えられています。

しかし縄文文明は、世界4大文明に比べて高度な文明であったと教えられてきていませんでした。

世界4大文明は農耕牧畜民族ですが、縄文文明は狩猟採集民族という違いが大きく影響しています。

狩猟採集民族は貧しくて不安定な生活をしていて、高度な文明が生まれるはずがないと考えられてきたのです。

ところが研究結果によれば、縄文時代ほど人々が定住し他の文明よりも豊かな暮らしをしていたことが分かってきました。

その証拠の1つが縄文土器にあります!

 

縄文土器に見られる高度な精神世界

縄文時代に土器は1万4000年前に使われていて、煮炊きや食物の保存に用いられていました。

また用途だけではなく、注目なのが見事な装飾です。

こらは火焔土器といって、作られたのは約5000年前だとされています。

見ると明らかに持ち運びに適しておらず、定住した証拠となると考えられています。

そして、その高いデザイン性が高度な精神世界が存在していたことを示唆しているということなんですね!

煮炊きや保存だけなら、こんな意匠は不要ですよね。

縄文時代の移ろい

日本で1万年前に氷河期が終わり、温暖化が進み列島の植生も、針葉樹林から照葉樹林・落葉広葉樹林へと変わっていきます。

温暖化のピークが約6000年前で縄文遺跡が最も多い年代だとされ、土器も大量に作られました。

 

三内丸山遺跡の特徴


引用:http://jnk4.info/www/digi-gazou/recipe/keyhtml/a-030.html

ここから田中英道教授が示す三内丸山遺跡について見ていこうと思います。

田中教授は三内丸山遺跡を一つの住民たちの集合体であると、三つの領域から判断しています。

第一に、住居が密集していて、500人ほどの人々が暮らしていたこと。

第二に、広大な墓地です。

住居域と隣合わせで墓域があり、生きている者と死んだ者との間の繋がり共同性があることです。

祖霊との繋がりがあることが見て取れます。これは神道の概念が含まれていますね。

 

第三に、盛土に囲まれた公共空間。

そこには何かしらの施設があったと考えられ、その一つとして「巨大六柱建造物」が挙げられ、他にも大型竪穴建築物があります。

集落の中央に位置しているため、集会所や共同住宅などの説があります。

 

これら三つの領域から、共同体としての都市国家の機能を備えていたとされます。

 

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