皆様こんにちは!
家庭連合において基元節がいつだったかご存じだとおもいます。2013年1月13日でした。この日は私たちが神様と呼ぶ存在が初めて結婚して家庭を持った日です。
それ以前は聖婚式はあったけれども完全な結婚式ではありませんでした。
基元節から本当に神様が結婚して正真正銘の家庭を持ち、正真正銘の夫婦となり、正真正銘の父母となったのです。
この日から神様のことをお父さんお母さんと呼ぶことができるようになりました。
これは単に呼称の変化ではないのです。
私たちの生活圏の中に神様と呼んでいた存在が宗教ではなく、親としてありありと生活の中に臨在する時代に入ったことを意味します。
それは私を産んでくれたお父さんお母さんに対して呼びかけるようにです。
両親に対する呼びかけは?
「神様」というワードを考えるとき、神話の神様や神社に祀られている神様、自然に宿る神様などなど、いろんな神様を思い浮かべると思いますが、
皆さんは自身の親のことを名前で呼んだことはありますか?
少しからかって呼びかけたことはあるかもしれませんが、故意にするようなことではないと思われます。
父母ともに名前を持っていて、名は体をあらわすという諺があるように、名前こそがその人を最も表している言葉ですが親を名前で呼ぶことはほとんどありません。
なぜお父さんお母さんと呼ぶのでしょうか。
親子の関係を結んだからです。
当たり前ですが、親は親自身が親になるのではなく、子どもが親というから親になれます。
子ができても形式上は親子ですが、本質的には情感が伴った子どもの呼びかけで決定します。
なぜ名前があるのに呼びかけが変わるのでしょうか。
宇宙は親子の関係を最上としているからです。
また宇宙の方向性、目的性によって、そこに向っているからです。
神の家庭
宇宙ができた原因的存在を神とかサムシンググレートと呼んだりします。
サムシンググレートとという言葉も「偉大なる何か」という意味で、そういう存在がいるというところまで行きつきましたが、結局は何かは分かっていません。
もし私たちを産んでくれた存在がいるのであれば親なる存在のはずですが、神様やサムシンググレートと呼んでいる段階では、親子の関係ではなく「神と人」の関係の段階です。
言い換えると、創造主と被造物、造った者と造られた者などです。
人格があって情感が伴うからこそ関係が結べるのです。
神様は最上の親子関係、家庭を築こうとされて創造が始まりました。
神か天の父母か
さて、最初の宇宙の出発点の時点では神様はお一人なので相対がいないため、父でも母でも夫でも妻でもありません。
この段階では神様とかサムシンググレートとか、アメノミナカヌシ、アラー、エホバとか呼称で規定するしかありません。
もし神様と呼ばれる存在が家庭を求めているとすれば、何と呼ばれるのが神様にとって好ましいでしょうか。
出発点である根本点の位置の価値を鑑みれば「神様」が良いかもしれませんが、もし
結婚して家庭をつくることを目指している人がいれば「父母」が良いと思われないでしょうか。
これは白か黒か、どちらが正しいかという問題ではありません。
お父さんと呼ばれるためには、子どもが呼びますが、子どもがいるということはお母さんがいるのです。その前は夫婦だけでした。その前は独身です。
このようにしてお父さんという存在には、愛を中心とした家族の理念が畳み込まれているのです。
私たちの存在は家族体なのです。
神様も赤ん坊から大きく育って独身の時代を過ごし、結婚して夫婦となり、子を産み父母となったのです。
基元節は神様が本当の親の位置にたったので、神から天の父母に呼称が変わったのです。
もちろん形式的なものよりも情感が伴った呼びかけが重要です。
家庭を求めた神様の創造の出発点が分かれば、呼び方が変わっても「神様」が消えたわけではないのです。
コメント